生きる事にそもそも意味は無くて…

同じように、死んでいく事にも意味は無いと思っています。

 

他の動物と同じように…

生物としての生命を終えるだけです。

 

しかし、人間は考える事が出来るので、そんな事は寂しいと考えてしまいます。

 

だから、生きる事にも死ぬ事にも

「意味」を付ける事で納得しなければいけません。

 

「なぜ生きるのか」

この意味は、自分が生きているうちに見つけていくものです。

自分自身で決めていく事が出来ます。

 

一方で

「なぜ死ぬのか」

この意味は、自分で決める事が出来ません。

死んだ時には、もう自分で考える事が出来ないからです。

「なぜ生きるのか」に対する答え合せは自分では出来ないのです。

 

じゃあ、「なぜ死ぬのか」という問いに対する意味は誰が付けるのか?

それは遺された家族や友人が付けます。

 

言い方を変えるなら…

「死を以って、何を遺したのか」

その問いを、遺された遺族が考える事が、故人に対する最大の供養ではないでしょうか。

 

大切な人が亡くなった…

「その人が死を以って、何を遺したのか」

遺された人達が、意味を受け取っていくのです。

 

私のじいちゃんが死んだ時も…

ばあちゃんが死んだ時も…

兄ちゃんが死んだ時も…

それぞれの生き方を通して、大事な事を伝えてくれたような気がしています。

 

とはいえ、冒頭でも書いたように

本来、死ぬ事に意味はありません。

 

だから、勝手に意味を付けるのです。

意味は無いけど、そこに意味を付ける事が出来るのが人間です。

 

あなたにとって、大切な人が居なくなる事にどんな意味があるでしょうか。

 

その声なき声を受け取った時に、初めてその人の人生は意味を成すのではないでしょうか。